2024年4月84P
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「セキグチ。」
セキグチはいつも写真部加藤と別れたりくっついたりを
繰り返し、周囲の僕らはまたかという目で見ていた。
そういう人いるね。
結局その後どうなったのかは知らない。
僕は加藤が嫌いだったんでセキグチの味方をした。
頼りにならんと怒っていた。味方なのに。
幸せになっているといい。
僕はまあ、世の中の全てを憎むほどには不幸でなく
それなりにだらしなく生きているよ。
「ムロイ。」
僕は人の上に立って理想や理念を語ったり
誰かに向かってルールやけじめをつけたりするのは
ひどく苦手ですが、
どろどろ、ギスギスした雰囲気を
「まあええやないか」と事なかれ主義と不文律で
丸めるのは嫌いではありませんでした。
ただそれは自分の信用する、気にいった人だけを
そばに置きたがるということでもあり、
やっぱり田舎の農民の排他主義的なところがあったと思います。
自分の心地よいコミュニティを探して仲間に入れてもらうよりも、
そうした小さな小さな場所を自分で作り出す方が好きでした。
「自尊心。」
以前は「どうしても相談したい」とメッセージをもらうと、
オフで会って話を聞いてみることもあった。
たいていの相談は
結局は自分語りで人の話を聞く気はないんですよね。
男の場合は特に。
それなら最初から「相談したい」なんて格好つけないで
すいませんが自分の話だけさしてくれと言えばいい。
それもあって、僕も基本的に僕の話しかしないことにしている。
全然聞いてあげないと、親身になってくれなかった!と
SNSで書き散らすわけですが。
悩みを話せる友人がいないなら
ネットでも言わない方がいい。言ってはだめだということじゃなく。
忘れるのがどんどん先延ばしになって
自分がつらいだけだ。
「思い出。」
大量に残った写真や動画には思い出どころか
見たくないものとして嫌悪感しかない。
僕にとって大事なのは
僕しか知らないこと、
僕しか見てないもの、
僕にしか見えないもの、だ。
僕が欲しいものは正確な記録とデータではない。
「二度の涙。」
一度目は「昔好きだった人が死んでしまうかもしれない」だった。
ただの胃炎だった。
でも先輩はそれを嬉しそうに電話で話した。
僕は嫉妬で狂いそうになった。
二度目は「お前はどうしてそんなにも本気なのか」だった。
僕はそれまで本気をとてもいいことだと思っていた。
そうじゃなかったとわかっておろおろした。
この絵はどっちを描いたものだと思います?
「見てる人を見てる人。」
でも引いて冷めた目で物事を観察していたい人ってね、
いざあとから自分が主役になるとてんでわかってない行動をしでかすんですよ。
ええ。
いつかは自分も失敗して笑われるんです。
ならできるだけ早い方がいい。
僕は人の噂話の中心になんかなりたくないよ。
行動の主体は常に自分である方がいい。