「しあわせの時間⑭ 。」[ジブンガタリ-718]
哀しいことには理由が必要だ。
理由があるからこそ納得し、忘れる努力もできる。
そんな理由もまるで僕に与えなかったさみだれちゃんは、
いつもただ遠くを見ていた。
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哀しいことには理由が必要だ。
理由があるからこそ納得し、忘れる努力もできる。
そんな理由もまるで僕に与えなかったさみだれちゃんは、
いつもただ遠くを見ていた。
更衣室を覗いたことがあるわけではないけれど、
大体いつも不愉快そうな顔をしていた。
まあ歩くのも考えるのも立ち上がるのも遅い遅い。
なんでも人より遅い。
そのかわり諦めが悪いのは、
うんまあよくも悪くもあるか。
悪くはない、と言いたいな。
やっぱりねえ、こう、好みの人間になろうとするよね。
しませんでしたか。
それもまた一つの楽しい思い出じゃなかったかと思います。
自己主張は激しかったように覚えていますが、
全体として見れば、僕は全力で媚びる自分の姿が嫌いではありません。
文章や音楽も孤独な作業ではあるのだけれど、
絵を描く作業に必要なストイックさはまたちょっと違う気がして。
どうやったらもっともっとストイックに自分を追い詰めて生きていけるだろう。
修行僧みたいに。
ポエム(詩)の使いみちは、
・愚痴
・不特定多数への意思表示
・欲望の完遂
のみに使われるべきで、
ロマンティックな気分のまま、
自分しか理解できないポエムで直接話しかけてくる人間は
ひとりよがりで鬱陶しく、嫌いでした。
そう思うと、愁嘆場に居合わせた僕の言葉は
なおさら即物的で、倫理もへったくれもなく、素朴だったと思います。
手紙はとてもいい。タイムラグがある。
手紙を出して、届いて読んで、どこかで会った時には、
もうその気持ちではなくなっていて、
でもどこかに何かくすぶった思いが残っており、
その部分で繋がったりする。
メールもSNSもLINEも生々しすぎる。
だからみんな生々しいことを書けない。
人間関係には時間が必要だ。
求めたことにすぐ反応を返して欲しいなんて、
大声で泣きわめいてアピールするしかない幼児と同じだ。