2017年3月29P
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「再会⑬。」
僕が大学生の頃、ちょうどJR京都駅は大改装中で、工事現場のような駅だったような気がするが、
あまり覚えていない。
僕は人に別れのあいさつ…「バイバイ」とか…を言うのがとても苦手で、
「うん、まあ」みたいなことしか言えなかった。
それもあとで結構後悔する。
「風が吹くから。」
風が吹いて、君はちょっと意外そうな顔をした。
何が意外だったのだろう。
僕は何を言ったのだろう。
「最期のモラトリアム。」
マキタに始まった僕のモラトリアムは、
村木や先輩を経て、奥崎ミチルで終了する。
果たして僕の青春は、僕のモラトリアムは何だったか。
「なんとなるさ」
で全てを先送りし、何も身に着けなかった、
それこそが僕のモラトリアムを貫いて流れる、根拠のない自信。
なんとかなるさ、は何とかすることが出来た人間だけに許される言葉だ。
「再会⑫。」
酔っていたとはいえ、童貞!童貞じゃない!みたいな
どうでもいい叫び声を上げながら烏丸通りを京都駅へ向かって歩く、
22歳の僕たちは、
憂鬱で、億劫で、面倒だったけれど、
でも何か腐っているなりに、腐った輝きを発していたのだと思う。
村木:SIDE B「⑭:黙ってんじゃねえよ卑怯者。」
女の子が泣くことにももう慣れた。
村木にしろ家内にしろ、僕が何をしたところで泣くんだ。
妙に気取って「本当の気持ちしか言いたくない」だなんて、
お前は一体何様のつもりなんだ。
そんなことを言って、
自分のことばかり見てばかりいるうちは、
誰ともつきあうことなんか出来ない。
「カフェの思い出。」
もうほとんどの思い出の店はなくなってしまった。
20年も経つんだから仕方ない。
逆になくなってしまったことで、
僕の思い出はより強固なものになる。
一人でぼんやりした喫茶店は内装をよく覚えている。
誰かが好きで、誰かと一緒にいった喫茶店は、
その内装や外観はちっとも覚えていず、
ただ、その人だけを覚えている。
「再会⑪。」
酒を飲んだ後、高瀬川のほとりをとぼとぼと歩く。
これは京都で大学時代を送った人間なら一度は経験があるんじゃないか。
僕は飲み会より、飲み会が終わってちりぢりになって、
そこで誰かと二人、ぽろっと話すでも話さないでもなく出た本音が、
一番聞きたかった本音だったりもした。
なんかね、誰でもかわいく見えるんだ。
そういう時って。
「温度差。」
「いいお友達でいましょう」
の「友達」の解釈を巡って、色んな失敗をする。
友達だと思っていたのは自分だけだったりする。
個人主義になってますます強くなるそんな傾向と、
そうした失敗から「二度と簡単に人を友達だと思ったりしない」
という意固地と、それもまた青春のなせる軋轢で。
段々楽になる。
間違わなくなる。
わかってしまう。
それは本当につまらないことだよ。
「教育。」
基本的に「褒めて伸ばす」はその後に来る「ダメ人間になる」「自分で気づくまでダメなまま」を
セットにして考えるべきだ。
僕は自分の一挙手一投足を大げさに全面的に肯定された育った結果、
常に顔面に汗をかいている高校生となった。
僕がこの呪縛から逃れるのはいつか。
まだ逃れていない気がするんだ。
ただ、この方法で育つと、
しにたいほど落ち込んでも絶対にしなない、
しにそうになると自分の都合よく自分を全肯定するスキルが発動し、
何をやってもバラ色になる、という利点がある。
僕はいつもバラ色だ。
ただし、そのバラは咲かなかった。
「先輩とかわいい。」
喫茶店や飲み屋でも、対面で座ることが恥ずかしく、
隣同士で座ったりしたことはよくある。
下宿の僕の部屋で、
いつも明快で快刀乱麻を断つ先輩が、
もごもごと何かを言う時、
僕は彼氏に激しく嫉妬し、
口数が多くなり、
先輩は泣く。
その、罪悪感。
「再会⑩。」
オータニがあの時急に元気になったのは何故だったのか。
酔ったから、というだけなのか。
僕は、マキタを好きな人間が自分以外にも欲しかったんだと思う。
それくらいオータニは寂しかったんだと思う。
全然わからなかったが、マリッジブルーだったのかもしれない。
僕はマキタの話が出るとマキタマキタになる。
今でさえ。
「本気なんて役に立たない。」
言えば言うほど伝わらないが、
言いたい。
そして言えば言うほど
だめになる。いろんなことが。
日々雑念①「ループ」
下手だけどがんばってます
と言いたくはなるんだけど、
まあ言わなくていいやね。
「二十歳の原点。」
僕も京都の学生だったので、高野悦子「二十歳の原点」「原点序章」に登場する店、
「ろくよう」やシアンクレールの跡地には行ったりした。
今で言う、聖地巡礼なのだろうと思う。
それにしても二十歳の時って、
どうしてあんなにも虚しく、死にたく、つまらなかったのか。
友達がいても、彼女がいても、いい成績をとっても、絵を描いてもピアノを弾いても、
何も満たされない、あの虚しさは、
とどのつまり「自分は誰でもない、誰にもなっていない」という
不安に由来している。
残念ながらネットのおかげで、そんな後ろめたい背徳的な気持ちは、
たちまち自虐としてネタと化し、
人に読ませるためにTwitterで書きまくり、笑ってもらい、小さく満足し、
あるいは「見てもらっている」という妄想で簡単に自慰できる手段を得た。
でもあの真夜中、どうすることも出来ず、誰もいず、
不安で不安で何も手につかなかった夜、
あれは今にして見れば、人を大事にするために
どうしても必要な通過儀礼だったのだと思う。
孤独であること、
未熟であること。
これは一人で一晩中悶々と噛みしめるところに価値がある。
「青春美術部。」
何のために面倒くさい思いをし、時間をかけて絵なんか描くんだろうか、
俺は何をやってるんだろうか、
そんな風に考えることもたびたびあって、
どこかで「俺は本当は絵なんて好きじゃない、ただの排泄行為だ」と
斜に構えているところもあった。
先輩がすごいねと言うような絵を描けば、
先輩は僕のことを見てくれるかもしれない、
そんな、今となればしょうもない媚を、
僕は自分に言い聞かせながら売り続けていたと思う。
それでもなお、僕は先輩に褒められたかった。
一言でいい、がんばったなと言われたかった。
情けない話ではあるけれども。