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「言い方。」


こういう言い間違い、変な言語センスのネタなんて、
ネットがその宝庫だったと思うんですが、
いつの間にかネットで発言する時は気をつけすぎて
笑えなくなってしまったね。
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こういう言い間違い、変な言語センスのネタなんて、
ネットがその宝庫だったと思うんですが、
いつの間にかネットで発言する時は気をつけすぎて
笑えなくなってしまったね。
先輩は特に女扱いされるのが嫌いで(当時は)、
甘く見られてると感じると一瞬で冷たい態度に変わるので
わかりやすいと言えばわかりやすかったかもしれない。
媚びたり甘えたりするのがすごく下手だったから、
やっぱり年上の人が好きだったんだろうと思う。
僕には色々と話をしてくれた。
それは僕が無害で何もできない、出来損ないの弟のような存在だったからだ。
先輩が「繊細なやつは嫌い」とか言うもんだから、
僕は真に受けてなんだか乱暴な人間のアピールをし、
やはり冷たい目で見られるのだった。
やっぱり大学一年の時の「阪神大震災」及び「オウム関連」は
忘れられない事件でしてね。
あの頃が一番テレビ見てたんじゃないでしょうか。
上の2件によって1994年は
「現実がフィクションを越えた」と評された(と思う)。
前年の93年に発売された「完全自殺マニュアル」の影響と共に、
1997年のインターネットの一般世帯への普及、
1998年の「日本総うつ病時代」へ向けて
僕たちはどことなく不安と狂気を感じながら、
「人間とは」「心とは」「世界とは」と
自分そして他人という存在の内面へ強い関心を持ち続けることになる。
入院した時から7年経つ。
その間、入れ替わりの激しい大病院の割に、
僕の主治医はずっと稲荷のままだ。
7年も経つのに稲荷のことは何も知らない。
そりゃ雑談なんて一言もしないからね。
何も知らない人を7年も知っているというのは
なんだか不思議な気分でもあるし、
医者とは不思議な商売だとも思う。
色々大変なんだろうな。
でも僕は彼女について何も語る言葉をもたない。