
怒り、悲しみ、あるいは憂鬱というような負の感情と、
詩や絵や音楽との親和性はとても高いと思っています。
とすると詩とそのブログ主の暴言とは
何が違うんでしょうか。
暴言みたいな暴力的な詩の名作もたくさんある。
何が違うんでしょう。公益性とか共感性でしょうか。
説明できますか。できるでしょう。
自分でできなくてもAIがなんとなく納得いくような言葉を使って
説明してくれるかもしれません。
だからどうだっていうんでしょう。
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詩や絵や音楽との親和性はとても高いと思っています。
とすると詩とそのブログ主の暴言とは
何が違うんでしょうか。
暴言みたいな暴力的な詩の名作もたくさんある。
何が違うんでしょう。公益性とか共感性でしょうか。
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だからどうだっていうんでしょう。
心が揺れたら 押してください
1ページエッセイマンガ。ある人物が病気について調べた際、ネット上で闘病ブログを発見する。しかし内容は病気そのものではなく、主治医の個人情報や悪口を書き綴るものだった。彼はそれに対して疑念を抱きつつ、このような状況が最期の生きる力であるのかと考える。自分はそういった最期は嫌だと思うが、絶対そうならないとは言えないと感じ、布団に顔を埋める姿で心情を表現している。