前から言っていますが、承認欲求は自分が何か帰属している以上、 かならず一生ついてまわるもので、 それ自体を悪者のように考えるのは間違っていると思います。
問題は共感と、共感性ルサンチマンの方でね。 ポピュリズムという言葉も大分一般的になりましたが、 どうしてわたくしが描いたわたくしの話を自分の方へ引き寄せてしまうかと言えば、 自我が欠落しているからでしょう。
自我が強いということは、 押しが強い、自己主張がひどい、わがままということではない。
自分と人は違うのだという線を明確に自分で決められるということです。 これはやっぱりどうしても共感能力が高い女性性に多く見られがちな傾向でしたが、 昨今の意味のわからない多様性ポリコレブームによって、 実際に男女関係なく「自分は自分なのだ」という アイデンティティを保てない子をよく見るようになっています。
だから武器として「弱さ」=自分は弱いのだから、 仕方ないのだから、という、使うと対人関係が破綻する言葉を とうとう使い始めてしまいました。
自分のどこが弱いのか、弱さなのか、 それすら考える能力さえも持てず、感情のままに左右に流され続ける。 これは何かというと、子供です。
わたくしは子供でしかいられない人に対して、 大人になれなんて大人目線で言うつもりは全くなく、 月並みではありますが、それは思春期に自分で 獲得するべきものであり、
そうでなければどうしていくか、 助けるのは医療なのか福祉なのか、スピリチュアルなのか、 いずれにしても選択から始めなければなりません。
自我が弱いのは病気ではないですからね。性格です。 自我が弱いことを理由に友達ができないなんてことはないし、 人付き合いを拒むこともないと思います。
そんなことを自分の入退院生活と重ねながら、 そして急速に悪い方向へ変化していく教育現場を間近で見ながら、 考えていました。
セリフ
1ページ目
- 「まったくあいつはバカだなあ」
- わたくしはいない人の悪口が大好き。
- 「あいつブスだよな。」
- こういうのは絶対言わないよ。どう言っても面白くならないから。
- 笑うということはそもそも残酷な行為なのだ。
- 自分と関係ないから笑えるんだもの。
- わたくしも15年前は笑いどころを探して必死にツイートしてましたが、
- 「テレビで見る有識者はみな頭よくなさそう。」
- 「面と向かって言うわけがない。」
- 「笑えんだろうが。」
- 「笑う必要もないし。」
- 効果音どしたん
- 効果音しにたい
2ページ目
- 別名「共感」がネットを中心に蔓延
- 「関係ないのに自分のことだと思い込んで突撃してくる病気」
- 「俺のことか私のことかいかがなものか」
- その結果
- 「詰になりませんなあ」
- それに対して怒るというより
- 「学級会ん時おったわこういうわけわからんやつ。」
- というげんなり感と、しかし小学生ではないという絶望感。
- 「ゾンビ映画みたいだ」
3ページ目
- 「というわけで気づくと いつの間にやら リアルとネットが逆転、 リアルのみなさんは 口が悪くなり続け ネットは嘘くさい 学級会になり続け」
- 「いかに近すぎる 距離感がストレスを 生むのか実感する、 2010年代後半。」
- 「やがて わたくしにも ついてけないレベルで 口が悪くなってきたところで」
- 世界で最も退屈で 誰もが無視する話 Ⅱ中年の昔の思い出
- 「に逃げ込むことに 決めた。」
- 効果音もう安全なエリアは 自分語りしかねえ
4ページ目
- 「自分のことを真面目に描き始めると笑いに興味がなくなり」
- 「情報をシャットアウトし真面目くさった態度で逃げ続け」
- 「「自我消せよ」というとんでもないクソリプに衝撃を受けながら10年経った。」
- 「わたくしはいつなんどきも常に正しい。」
- 「しかしそれは世界や君が間違っているという意味ではない。」
- 「でも語りたいことは毎日毎日無限に湧いてくるんだ。」
ハセガワは他人の悪口を好むが、笑うことが残酷な行為だと感じている。共感と共感性ルサンチマンがネットで蔓延し、現実とネットの境界が逆転する。怒りは学級会のような絶望感を生み、リアルでは口が悪くなり続ける状況に疲弊する。10年以上逃げ続けた結果、情報を遮断して自分を守り続けるが、それでも世界や他者が間違っているとは思わない。話は尽きず、悩みは尽きないという思いを抱く内容である。



