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ソファで寝転ぶ少女と話す眼鏡の男性

ある脳の障害によって、何十年経っても見たものを見たまま描ける特殊な能力は存在する。

それが羨ましいかと言われると、わからない。

見たものを見たまま描く行為に自我はあるんだろうか。

誰でも鮮明に覚えている光景がある。

鮮明に覚えているのに、絵で描くと下手すぎて誰にも伝わらなかったりする。

あれを不思議だと思ったことはない?

僕は子どもの頃からずっと不思議だった。

頭の中にあるものを形にするには技術を習得する努力が必要だ。

でも感動があり、記憶があり、そこからスタートすれば技術の習得は大した問題ではない。

技術は必ず劣化する。

思い出は劣化しない。

むしろ美化していく。

美化、つまり美しいものへと変わっていくなら、

それが一番描かなければいけないものだと思う。

僕は美しいものだけが好きだからだ。

セリフ

  1. 美術準備室の写真はこれ一枚しかない。
  2. 「ほぼ写ってない」
  3. だがこの絵は極めて正確だ。
  4. 毎日見てたからだ。このために。これを期待して。
  5. 写真として残っていたらわざわざ描こうとは思わなかっただろう。
  6. 「またお前か。」
  7. 「あん?」

美術準備室には写真がほぼ残っておらず、唯一の写真は人物の顔が隠れているが、ハセガワはその写真よりも正確な一枚の絵を毎日見ている。ソファに寝転ぶ女性にハセガワが「またお前か」と話しかけると、不機嫌に「あん?」と返される。このやりとりから、ハセガワは写真を残す価値に気づかぬまま日々を過ごしていたことが示されている。絵に込められた記憶の強い衝動が物語の軸である。