2024.4.1
「さみしくうれしく終わる日々。」
終業式やら卒業式やらには大した思い出もないけれど、一人一人のお別れを思い出してみると、淡々としてはいたが、それぞれに何かはあったなと改めて思う。
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終業式やら卒業式やらには大した思い出もないけれど、一人一人のお別れを思い出してみると、淡々としてはいたが、それぞれに何かはあったなと改めて思う。
思春期が高齢化しているのは、「僕」「私」という物語を、自分自身で飽きて捨てる必要がなくなっているからではないかと思うのだ。
自我はその幻想の物語に飽き果てた時点からスタートするのだから。