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1:2021.12.5 (23:40)

「誰か一人は。」

本人の字シリーズ。

オータニは一枚しか手紙がないので
何度も同じ言葉を引用していますが、

僕はこの手紙を卒業後にもらって、
「今じゃなくてつらかった時に言ってくれよ」
と思いました。

でも一人でいいんですよ。
誰か一人、見ててくれている人がいれば
人は生きていけます。

100万人はいらないです。

2:2021.12.5 (2:50)

「清潔な憂鬱。」

言葉を書いていると簡単に拡散する。
朝起きると数字が何万何十万となっている。
その度に必ず不快な思いをする。

野次ややっかみも不快だったが、
それ以上に「何も言いたいことが伝わっていない」
という不快さだったように思う。

僕は描く。
絵なら強くメッセージをこめて
あるいは徹底的に消費者に媚びて
誰でもわかるような過剰な演出を加えない限り拡散しない。

僕はいつも憂鬱だった。
その憂鬱は、清潔だった。

3:2021.12.4 (23:29)

「1992年12月。」

僕たち三重県の高校生にとって「都会」と言えば名古屋でした。

世界一と名高い名古屋市科学館のプラネタリウムは当時も有名で、
天文部のヨシダにつきあって見に行ったのを覚えています。

忘れよう忘れようとすればするほど
ほんの小さなことでチクリと思い出す。

自分の気持ちを持て余し、
その溢れ出た泥で人を傷つける。

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