「島根県と僕。」
「地平線まで伸びる一本道の農道」が
原風景の僕にとって、
山陰地方の森はとても恐ろしく感じた。
僕は地元の人間よりも、
全然接点のない地方の人が好きだ。
つきあうと本当に知らないことばかりで
とても興奮する。
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「地平線まで伸びる一本道の農道」が
原風景の僕にとって、
山陰地方の森はとても恐ろしく感じた。
僕は地元の人間よりも、
全然接点のない地方の人が好きだ。
つきあうと本当に知らないことばかりで
とても興奮する。
僕の大学生活を描いたマンガの中で、
大学の校舎や勉強しているところを
一度も描いたことがありません。
ほとんど覚えていないからです。
僕にとって大学は大人にならないための言い訳であり、
人間自身を学ぶだけの場所でした。
僕は死にたくありません。
ですので医者の言うことを聞いて生きています。
でも3年間が過ぎ、寛解の目処も立たず、
医療費は重く重く生活費にのしかかり、
そして僕はよく知っているんだ。
僕が一番困った時にこそ、誰も助けてはくれないことを。
僕のことをわかって欲しい、
と思うことももうありません。
気休めにもならないからです。
でも僕はあの時、さみだれちゃんに何ができたというのだろう。
治らなくていい、そのままでいい、
そう思ったのは本当です。
それでよかったのか、答えが出ることはありません。
中高生に向けて作られているであろう、
異世界にとんでく話とか、戦う話とか、
さすがにそれは僕が見ても面白くもなんともない。
といって深い恋愛ものなんて時代錯誤で
もう作られないだろうし、
残ったのは全部エロだ。
仕方ないのでどんどん時代を遡って、
今自分が生まれた頃のアニメーションを観ている。
もともとのアニメファンというわけではないので、
どれを観てもそれなりに面白いんですが、
やっぱりあれだ、ヒロインがいっぱいいる、
というのが苦手なんだなあきっと。
僕のマンガは女の子ばかり出てきますが、
マキタが好きな時はマキタ、
先輩の時は先輩、と
その他の人間は全て視界の外へ葬るのが
僕の行動パターンだったので。
いやしかし模写は面白いがくたびれる。
色々深読みできそうな発言を連発し、
我々の中では「99%バカだが1%の哲学者」と認識されていた
枝くん。
在学中に地元の火山が爆発し、
家が消し飛んで聖書売りとなった枝くん。
村木に会わせた唯一の人間である枝くん。
枝くんって人間なんですか、とよく質問が来ますが、
それは枝くんに聞いてください。
映画やアニメから人生が左右されるような
衝撃を受けるということはありませんでした。
ただでさえ自分の気分が乱高下するので、
現実を受け止めていくだけで精一杯だったのだと思います。
大騒ぎする友人を見ていて、
羨ましかった記憶がある。
ほんとう、退屈な人間です。
僕もまた、僕の正義にしたがって行動していた時がありました。
正義の人でした。
必ず周囲の人間の理解を得られると信じていました。
気づいたら一人になっていました。
みんな僕をよけて通るようになりました。
それでも僕は僕を正義だと思いました。
みな間違っている、と。
正しいも間違っているもありません。
ただ僕は、冗談が通じない人間だっただけなのでした。
ほんとに繊細で傷つきやすい人は
SNSなんて見られないしできないと思うんです。
どちらかと言えば醒めている。
気を抜くと、ここに僕が存在する理由はないなと考えてしまう。
くだらない授業、
憂鬱な雨空、
同級生の退屈すぎる会話、
それらを全て吹き飛ばして
だるい高校生のスイッチをここまで押し下げた、
思春期の恋愛とはなんと愚かで輝かしいことだろう。
自分で好きって言ったのに、
大事にするって言ったのに、
ある朝、なんだかちょっとイヤだな、と思って、
それがしみのように広がり続ける。
自分を責める。
罪悪感でいっぱいになる。
誰でも思春期に経験しただろう?
「正義」が好きなやつは
この「自分を信用できなくなる」を
経験してないんじゃないのか。