「正直な思春期。」
靴を隠されるとか
靴にマヨネーズ入ってるとか、
そんな経験はありましたが、
「知らない女子の靴」
は大層困りました。
普段の素行がよろしくなかったので、
また変態とかなんとか、悪い噂になるなあと
途方にくれたことを覚えています。
結局どうなったのかは忘れてしまいました。
多分、どってことなかったんでしょう。
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靴を隠されるとか
靴にマヨネーズ入ってるとか、
そんな経験はありましたが、
「知らない女子の靴」
は大層困りました。
普段の素行がよろしくなかったので、
また変態とかなんとか、悪い噂になるなあと
途方にくれたことを覚えています。
結局どうなったのかは忘れてしまいました。
多分、どってことなかったんでしょう。
手紙と日記は違う。
手紙を好きになりましょうなんて僕は言わないが、
日記は未来の自分への投資だと思うので、
結構人に勧める。
まあずっと続ける人なんてほとんど見たことないですが。
僕は妄想が好きでない。
夢を見るのも好きじゃない。
目の前にある、
それそのものが、
過不足なくそれそのものであることに
喜びを見出したい。
人に優しくして欲しいなら、
自分がまず優しくならないといけない。
でも自分はそんな風にどうしてもできない。
なら時間をかければいい。
と僕は考えた。
僕の学生時代だって手紙はとっくに時代遅れだったさ。
手紙で、っていうといやがられたよ。
じゃあいやがられないように説得すればいい。
僕の手元に残った手紙には、
もちろん辛辣な言葉もあるけれど、
優しい。
読み返すだけで、優しくなれる。
僕はもともと漫画が好きではないので、
よほどのことがないと読まなかったのですが、
高校生活、とりわけ
マキタと同じクラスになった高校2年生というのは
よほどのことだったのだと思います。
後から考えてみると、
こういう「髪が短くてちょっとめんどくさい人(キャラ)」
つまりマキタのような人物をタイプとして、
それを自分の中で引きずってる間は、
誰とも上手くいきませんでした。
結局僕は、見た目はどうでもよくて
ただ「めんどうな人」が好きなんだなと思います。
本当は
「この失敗が僕を人間にした」
とか、そんな浮ついたことを最後のコマに書いていたんですが、
いいや。
失敗なんて別に人間を成長させはしない。
僕はただ歪んでいくだけだったもの。
そうじゃなくて、
こんなこと(僕にとっては一大事でしたが)に
10年間も遣って得たものは、
ちゃんと諦められるようになったこと。
自分で「コミュ障です」と保険をかけて自己紹介したなら、
きちんとその自己紹介の責任は果たしてもらおう。
と僕は思っていましたが、
ハラスメントハラスメント!
になるので、もう勝手にすればいいと思うわけで。
ちゃんとまともに話を聞いて欲しかったら、
コミュ障です、と自己紹介する前に
することがあるだろう。
黙ってても意地は悪いのです。
僕は大人になってから、意地の悪くない人に会ったことがありません。
人が変わったんじゃないです。
僕がアップデートされたのです。
なので、アップデートしなきゃよかったんだと
後悔をしながら
それでも意地の悪くなかった人のことを考えているのです。
「よいおともだち」では
いつまでも大人になれないんです。
自分がうかれている間に
女の子はすぐ大人になってしまう。
20歳ならちゃんと自分に向き合えるはずだ。
向き合えなかったら一生そのままだ。
「20年経てば何でもどうでもよくなる」
の持論通り、どうでもよかった。
オタク特有の、
個人について語っているのに
「オタクをバカにするな!」と話をすり替える、
あの、あれ。
だめ。
「そういう時代じゃない」とか
「それはただの自己満足だ」とか
そういうのはもういい。
大声で言ってる人間を見ても少しも格好よくない。
小さく小さくなりたい。
世界は2、3人の人間がいればこと足りる。
絵や音楽を、
不特定多数とつながるための道具として使う、
それをどうしても許せない季節があった。
今でもあんまり、
絵が趣味です、音楽が趣味です、●●が趣味です、
という自己紹介には興味がわかない。